頑張るとは継続するということ

今日はがんばるとはどういうことか自分なりの答えを書きたいと思います。
がんばる=継続すること
大抵の人は、今までの人生で誰かに「がんばれ」と言われたことがあると思います。
誰かとは、家庭であれば親や兄弟であったり、学校や会社なら友人や同僚になると思います。
でも、具体的に「がんばる」とはどういうことでしょうか?
いままで、何となく分かっているような気がしていました。
今までは「がんばる」ということは、何か目標を決めてそれに向かって必死に努力することだと思っていました。
目標を達成するためには苦しい思いもしょうがないと思っていました。
でも現実は、苦しい思いをしても目標が達成できないことはよくあります。
その場合、目標が間違っていたのか?それとも努力が足りなかったのか?
どっちでもないと思います。
目標が間違っているのではなく、それを達成するための方法が間違っている。
また、努力が足りないのではなく、それが努力だと思った時点で継続は無理、ということです。
本当に好きなことなら、何も言われなくても、どんな隙間時間でも、やっているものです。
しかもほぼ毎日。
そして、気づいたらメチャクチャその分野に詳しくなっていることがあります。
ジャンルは人それぞれで、ゲームやアニメだったり、お酒や車だったり、化粧品や服だったり、何かしらあると思います。
それって結果的に目標を達成していることになりませんか。
そのジャンルが好きで、もっと詳しくなりたい、もっとすごいアイテムが欲しいとか勝手に目標を立てて、勝手に強くなっています。
しかもほぼノーストレスです。
これって目的達成の方法としては理想的ですよね。
今までの「がんばる」スタイルの限界
冷静に考えて、そもそも好きでもないことを必死に努力することには限界があると思います。
個人の能力にも限界があります。
最近のAI(AlphaGo)などは、すでに囲碁の世界チャンピオンを負かすことができるようになっています。
囲碁という限定的な範囲の話ですが、天才を超えるAIはすでにできています。
AIには好き、嫌いの概念がありません。
なので、目標達成のためにいつまでも計算し続けることができます。
このAIのやり方を人はマネできないと思います。
いままでの「がんばる」スタイル(嫌いなことでも目標達成のために必死に努力する)には限界があると思う理由がここにあります。
今後、強化学習の分野でブレークスルーが起きれば、AIがだれにも教わらずに自分で課題を見つけ、それについて繰り返し学習を行い、人よりもはるかに早く目標に到達するはずです。
AIと競っても勝ち目はないので、そのとき人にとって「がんばる」とはどういうことになるでしょうか。
はじまりは「好き」か「嫌い」かで良い
好きで続けることができるなら、それが結果的に「がんばる」になっているということがベストなやり方だと思います。
好き → 継続(つづけられる) → 目標を達成(気づいたら)
だれでも、理屈ではなく、なぜか分からないけど自分にあっているというものがあるはずです。
それを見つけ、好きなだけやればいいんです。
好きだから継続できるんです。
継続できるから結果的に目標に達するんです。
それで良いと思います。
くだらないお金稼ぎに毎日疲弊して、日々命を削っている人生ってなに?
精神的な充実感をまったく感じない人生ってなに?
黒いものを白いって言わないといけない状況ってどういうこと?
そういうのがあまりにも多すぎます。まったく意味不明です。
現代はあまりにも精神的に不自由すぎると感じます。
生きていくためにはそれもしょうがないと言う人がいます。
正直に生きることさえ許されない社会ってどういうこと?
好きなことを見つけ続けましょう。
そうすれば何かいいことあると信じます。
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